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【中山道歴史散策】漆器の町、木曽平沢で町並み観光

漆器の町 木曽平沢

美しい街並みが残る中山道奈良井宿を抜け、古い街道を2キロほど歩くと、やがて「右 漆器の町平沢」と記された石標が見えてくる。平沢は、良質な木材の産地である長野県南部の木曽地方に位置し、木工細工に漆を塗った木曽漆器の一大生産拠点として発展してきた。いまも古くからの漆器職人の町の雰囲気をよく残しており、日本の伝統的な町並みや伝統工芸に関心があるのであれば必ず訪れるべき町のひとつだ。

中山道奈良井宿の町並み
旧中山道に立つ石標

中山道を通じた木曽の木材と漆との出会い

平沢のある木曽地方は、土地の大半が山林に覆われている。この地の山林は江戸時代、名古屋城を拠点とする尾張藩の管理下に置かれていた。木曽の山林で育つ木材は、檜を中心に良質な建築資材として取り引きされ、尾張藩の財政を大いに潤した。そのため、尾張藩は「木曽五木」と呼んだ5種の木材を大切に管理し、伐採を厳しく禁じた。その厳しさは「木一本、首一つ」という言葉に現れており、木材を勝手に伐採した者は、文字通り死罪となった。街道の関所は通常、「入鉄砲に出女」(江戸に武器となる鉄砲が持ち込まれることと、江戸で人質とされた女性が逃げること)を取り締まることを目的としていたが、この木曽には、白木改番所(※しらきあらためばんしょ)と呼ばれる、木曽の木材の流出を取り締まるための関所が置かれていた。

よく整備された木曽の山林の檜

木曽の住民は、山林の管理を手伝う見返りとして、生計を立てるために一定量の木材の利用を尾張藩から認められていた。そのため、木曽では木材の加工技術が発達し、食器などの日用品から櫛などの装飾品にいたるまで、様々な白木の木工細工が作られるようになった。中山道という東西交通および物流の要所にあった木曽の木工細工は、やがて漆と出会い、木曽漆器が生まれることになる。

木曽漆器の特徴

漆はアジアのみに生育するウルシの木の幹から採取される樹液で、木材に塗ることで強度が増し、耐久性が高まることから、古くから日本でも重用されてきた。

樹液を採取された後のウルシの樹木
木曽漆器のお弁当箱、シンプルだが使いやすい

漆器は美しい光沢が出ることから、石川県の輪島塗など、蒔絵の装飾がなされた上流階級向けの高価なものも多くあるが、木曽漆器は庶民の間で日用品として広まった。そのため、華やかさには欠けるものの、丈夫で使いやすく、江戸時代の庶民の間で好評を博した。もともとは奈良井宿など近隣の宿場町でみやげ品として販売されていたが、やがてその評判は全国に伝わり、江戸(東京)や大阪へも中山道を通じて流通するようになった。

木曽平沢の町並み散策

奈良井宿から2〜3キロほどの距離にある平沢は、旅人が泊まるための宿場町ではなく、宿場町を支える地元の人が暮らす場であった。木曽漆器職人の町としての面影はいまなおつよく残っている。

木曽平沢の表通り
漆器店の店頭の様子

旧中山道に沿った平沢の通りの景観はとても印象的だ。それぞれの家は、居住空間である主屋(店を兼ねる場合もある)と中庭、そして漆器を生産するための蔵から構成されている。まず表通りに面した部分は漆器を販売するための店舗であり、その店舗から奥に進むとプライベートな居住空間や中庭が広がる。さらにその中庭の奥に二階建ての蔵がある。このような家が通り沿いに数十件も立ち並び、町並みを形成している。

漆器店の店舗の奥
漆器を製造するための蔵
蔵の内部の様子

代表的な漆器店の一つである伊藤寛司商店を訪れてみると、通りに面した店舗には美しい木曽漆器が並んでいる。その奥には表からは想像できないくらい広い中庭が広がり、さらにその先に築百数十年の蔵があった。この蔵は塗蔵(※ぬりぐら)と呼ばれ、この中で、数名の職人が茶碗に漆を塗る作業を繰り返していた。すべての塗蔵が観光客に公開されているわけではないが、漆器店の店頭にはQRコードが置かれており、そのコードを読み取ると、蔵での漆器作りの様子を見ることができる。

木曽漆器の職人を訪ねる

日本の伝統工芸に携わる職人のうち、超一流の職人はドイツのマイスター制度にならって「伝統工芸士」に認定されている。木曽漆器の伝統工芸士の組織の代表を務めるのが宮原正岳氏だ。

宮原氏の工房

宮原家は江戸時代、木曽の木材を管理する番所を守る役人であった。檜の割当量に関する江戸時代の古い文章も宮原家には残っている。そのような家庭に生まれた宮原氏は、物心ついたときから漆器作りに携わり、彼の子どももまた木曽漆器の職人をしている。

調合した漆を見せてくれる宮原氏
乾燥中の漆器

漆器作りは熟練の経験が必要とされる難しい作業だ。木の形や用途に応じて、その都度、最適な漆を調合し、湿度などの環境変化にも対応しながら手際よく漆を塗っていかなくてはならない。木に漆を塗っては乾かし、塗っては乾かし、という作業を繰り返し、最終的にひとつの作品ができるまで、少なくとも30日ほどの日数がかかる。

熟練の職人の手作業による木曽漆器はシンプルだが美しい。長く使い込むことで漆の光沢が増していく。これに伴い、器への愛着も増していくだろう。修理しながら古いものを使い続ける人も多いという。海外からの観光客には「めんぱ」と呼ばれるお弁当箱や小さな器などが人気だ。

木曽漆器は通りに並ぶそれぞれの漆器店や木曽くらしの工芸館などで購入することができる。江戸時代の中山道の旅人と同じく、木曽の山並みを眺めながら、みやげ品の漆器を選ぶのは楽しい。

木曽漆器館
木曽漆器館の展示の様子

木曽漆器について、より深く学びたいのであれば、平沢と奈良井宿との間にある木曽漆器館も訪れてみると良い。木曽漆器作りの使う道具や製作工程の説明だけでなく、1998年の長野冬季オリンピックで使われた漆器のメダルなども展示してあり興味深い。

長野県観光について詳細な情報は Go! Nagano もご参照ください。

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