| セントリップ・ジャパン編集部

【中山道歴史散策】碓氷峠を超えて旧軽井沢宿に向かうモデルコース

中山道の宿場町としての軽井沢

軽井沢は高級別荘が立ち並ぶ日本有数のリゾート地だ。標高900〜1000メートルの高原に位置することから、夏の避暑地としての人気がとくに高い。高原リゾートとしての軽井沢の歴史は、19世紀後半にカナダ人宣教師が別荘地として開拓したことに始まり、その後の様々な観光開発を経て、いまなおその魅力を保ち続けている。

この軽井沢、現代の洗練された観光地としての表情からは少し想像しづらいが、江戸時代は江戸から数えて18番目の中山道の宿場町であり、当時は軽井沢(かるいさわ)宿と呼ばれていた。軽井沢は、中山道という視座から長野県を知る上でも、欠かすことのできない場所なのだ。

東京駅から軽井沢へは、新幹線であればわずか1時間15分ほどで行くことができる。しかし、中山道軽井沢宿を追体験したいのであれば、あえて少し手前、江戸から数えて17番目の宿場町、坂本宿から歩いて軽井沢へ向かってみよう。旅の起点は信越本線の横川駅になる。

碓氷関所跡と坂本宿

横川駅から旧中山道沿いに数百メートル進むと、碓氷関所という中山道の関所の跡が見える。いまは小さな碑が立ち、東門が復元されているに過ぎないが、江戸時代は「入鉄砲に出女」(江戸に武器となる鉄砲が持ち込まれることと、江戸で人質とされた女性が逃げること)を取り締まる大きな役割を担っていた。

復元された碓氷関所の東門

関所からさらに進むと、街道の両脇に沿って坂本宿の町並みが広がる。坂本宿は賑わいのある観光地ではないが、かつての雰囲気が残る通り沿いの建物を眺めるだけでも興味深い。

坂本宿の脇本陣永井家、壁にさりげなく十字架が隠されている

前に目を向けると、丸みを帯びた巨大な岩のような刎石山(はねいしやま)がそびえ立つ。中山道はこの刎石山と碓氷峠を超えて軽井沢宿に至る。坂本宿の標高は約450メートル、碓氷峠の峠頂部の熊野神社の標高は約1200メートル。約750メートルの標高差を超えていかなければならない。峠を越えようとする江戸時代の旅人は、どんな気持ちでこの山を眺めたのであろうか。

坂本宿からこれから挑む刎石山を望む

碓氷峠を越える

横川駅から坂本宿の間を抜け、碓氷峠の入口までは約4キロ、1時間ほどの距離だ。ここからは本格的な登山道を歩くことになる。

碓氷峠の入口
峠の入口付近、序盤は勾配の急な山道がつづく

登山道に入ると、しばらくは傾斜のきつい登りがつづく。後半になるほど緩やかな傾斜になるので、がんばって序盤を乗り切ろう。

登山口から45分ほど山道を登ると、いきなり眺望の開けたポイントに着く。「覗(のぞき)」と呼ばれる古くからの眺望スポットで、先ほど歩いた中山道とその両脇に広がる坂本宿の町並みを眼下に一望できる。

覗からの絶景、かなりの高さまで登ってきた

覗を超えてさらに15分ほど進むと、標高909メートルの刎石山の山頂付近につく。当時はこの場所で四軒の茶屋が営業しており、旅人たちが足を休めた。いま、この場所には屋根のある小さな休憩所があり、ハイカーが思い出を記すためのノートが置かれている。ノートには様々な言語でこの美しい峠道を歩いてきた感動が記録されている。

頂上付近にある休憩所
ハイカーたちの記録が残るノート、様々な言語で思い出が記されている

この休憩所から碓氷峠の峠頂部にある熊野神社までは約2時間半かかる。その間、茶屋跡や中世の戦場跡などの小さな案内標識はあるが、基本的にはひたすら山道を歩きつづけることになる。やや長い道のりにはなるが、勾配は緩やかで、とくに危険な場所もない。江戸時代にタイムスリップしたかのような古いヒノキの林道、ちょっとした冒険気分が味わえる崖沿いの道、季節によっては降り積もった雪。足を進めるたびに変わっていく景色に目を奪われながら、飽きることなく歩くことができるだろう。

ヒノキの巨木の合間を進む
進むにつれて様々な表情を見せる
数日前に降った雪が残る

碓氷峠頂上に到着:熊野神社、力餅、見晴台

碓氷峠の入口からゴールとなる碓氷峠の頂上にあたる熊野神社までは、3時間〜4時間程度(横川駅からは4時間〜5時間程度)。心地よい疲労感が残る。

まずは峠越えの疲れを力餅で癒そう。力餅は餅に餡をからませたシンプルな和菓子だ。峠の道中にいくつか見かけた茶屋跡でもかつて提供されていたという。程よい甘さが疲れを癒すのにちょうど良い。

熊野神社の周辺には力餅を提供する茶屋が何件か並んでいる。この日訪れた「しげの屋」は熊野神社の真正面に位置しており、店主の水澤氏は熊野神社の神官も務めている。この茶屋は創業300年ということなので、江戸時代の旅人も同じ力餅を味わっていたのかもしれない。

力餅を提供する「しげの屋」
力餅、様々なフレーバーが楽しめる

しげの屋の店内から向かいの熊野神社まで、赤いラインがひかれている。これが群馬県と長野県の県境だという。ライン上を歩けば、日本の二つの県の県境を歩くというちょっとめずらしい体験をすることができる。熊野神社も左半分が長野県、右半分が群馬県に住所が分かれており、それぞれでお賽銭箱が別れている。

熊野皇大神社

熊野神社から少し軽井沢側に下ると見晴台があり、周辺の美しい山々を見通すことができる。見晴台には軽井沢から気軽に車で来ることもできるが、峠越えの達成感とともに眺める風景はひときわ心地よい。

碓氷峠見晴台からの眺望

そして軽井沢宿へ

碓氷峠の見晴台から1時間ほど、今度はひたすら道を下っていくと軽井沢宿へ到着する。軽井沢宿はかつて本陣1軒、脇本陣4軒を備える大きな宿場町であった。しかし、いまの軽井沢に宿場町としての面影を見つけるのは難しい。軽井沢の中心部、旧軽井沢エリアにある「つるや旅館」は、江戸時代も「旅籠鶴屋」という名で営業していたとされており、このあたりが軽井沢宿の中心だったことがかろうじて推測できる。

つるや旅館

江戸時代から明治時代への時代の切り替わりとともに碓氷峠を迂回する新たな道路が開通したことで、軽井沢は宿場町としての役割を終えた。

寂れかかったこの地を、1895年の夏、偶然、カナダ人宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショーとその友人が訪れた。夏でも涼しい軽井沢をショーは「屋根のない病院」と呼び、当時休業状態だった「旅籠亀屋」に滞在する。軽井沢を気に入ったショーはやがてこの地に別荘を建てた。これが軽井沢で最初の別荘であり、ここから別荘地としての軽井沢の歴史がはじまっていく。ショーが建てた別荘は、彼の教会の裏手に「ショーハウス」という名で復元されている。

ショーの建てた記念礼拝堂
礼拝堂の裏手にあるショーハウス、軽井沢最初の別荘

なお、ショーが滞在していた「亀屋」の主人、佐藤万平は、ショーとの出会いから西洋文化と西洋人のもてなし方を学んだ。やがて、かれは旅籠を洋風のホテルに改装し、「万平ホテル」に改名する。その後、万平ホテルは軽井沢を代表するホテルとなり、ジョン・レノンなど、多くの著名人が滞在するようになった。

万平ホテル
クラシカルな雰囲気の残る万平ホテルロビー

中山道を歩くことで知る軽井沢の楽しさ

軽井沢会テニスコート

軽井沢は日本を代表するリゾート地だ。冷涼な高地におしゃれなホテルやショッピングモールが並ぶだけでなく、皇室に縁の施設や歴史ある教会があちこちに点在することで軽井沢だけの独特の景観と雰囲気が形作られている。そうした町の気軽に雰囲気に触れるのも十分楽しいが、中山道を辿るという視点をもつともっと楽しい場所になる。長野県のもっとも東に位置する中山道の宿場町を、ぜひ群馬県から歩いて訪れてみてほしい。

長野県観光について詳細な情報は Go! Nagano もご参照ください。

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