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セントリップ・ジャパン編集部
【中山道歴史散策】与川道、雪の残る中山道の迂回路を歩く
江戸時代に整備された江戸と京都とを結ぶ2本の主要街道のうち、海沿いを通るルートを東海道、内陸部の山間の地を通るルートを中山道と呼ぶ。東海道が53宿、126里余に対し、中山道は67宿、139里と距離が長く、さらに山道や峠道が多かった。そのため、諸大名が国元と江戸とを往来する参勤交代での中山道の利用は、東海道の1/4程度であった。しかし、増水による足止めの多かった東海道とは異なり、水の不便がほとんどなく、旅程の計画が立てやすかった中山道は、京都の姫が江戸の将軍家に輿入れする際に利用されるなど、日本史のいくつかの場面で重要な役割を果たしてきた。
明治維新後、一気に近代化を果たし、開発の進んだ東海道沿線に比べると、山間の地を通る中山道沿線の開発のスピードは遅かった。そのぶん、かつての宿場町や街道にはその当時の雰囲気がよく残っている。そんな中山道の、とりわけ木曽路と呼ばれた山深い区間の宿場町を巡りながら「歩く」アクティビティが、いま人気を集めている。
中山道ウォークのもっとも知られた定番ルートは馬籠宿と妻籠宿とを結ぶ馬籠峠だが、今回は「与川道」を歩いた。このルートには観光地としての華やかさはないが、より深く、かつての中山道の趣と日本らしさを感じることができる。
与川道は中山道の本道ではなく、急流の木曽川の洪水や土砂崩れなどで本道が通行できないときに、本道を迂回するために作られた山道だ。かつての中山道の三留野宿と野尻宿にあたり、現在ではJR中央線の南木曽駅と2駅先の野尻駅までの区間に相当する。
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この日は名古屋から日帰りで与川道を訪れた。
名古屋駅を7時に出発する「ワイドビューしなの」の始発に乗ると、1時間ちょうどで南木曽駅に到着する。この辺りは古くから日本の林業の一大産地であり、南木曽駅のホームの向かい側も檜が山積みになっている。
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南木曽駅から歩き出すとすぐに桃介橋(ももすけばし)への案内板が目に入る。
桃介橋は木曽川の水力発電開発に力を注いだ福澤桃介が読書(よみかき)発電所建設のための資材運搬路として1920年代に架けた全長247メートル、幅2.7メートルの吊り橋で、木製の橋桁が特徴的だ。
当時、日本の近代化が急速に進むなかで、小規模な石炭火力発電から発電能力が高くコストが安い水力発電への転換が急務であった。その水力発電の拠点として、水量が多く、急流の木曽川が注目された。福澤桃介は、1919年から1926年にかけて、木曽川流域に7つの発電所を建設し、電力王と呼ばれた。そんな木曽川の急流ぶりは、氾濫を避けるために段差のある独特な形状に加工された川堤からも感じることができる。
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南木曽駅の周辺はかつての三留野宿(みどのじゅく)にあたるが、いまはその面影は少なく、かろうじて本陣跡の標識が残る程度だ。
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与川道は細い民家の合間を抜けていくこともあり、所々分かりづらいかもしれないが、「中山道」と書かれた道標は多く、「野尻駅」と指された方向に進んでいけば間違いはない。少し歩くと、山間部に特徴的な棚田の光景が目に入る。
よく手入れされた檜の間の小径を進んでいくと、途中、豊作を祈るための二十三夜塔など小さな史跡を見ることができる。
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その先には「結い庵(ゆいあん)」というゲストハウスがぽつんと立っている。
古い民家を改装した施設で、中に入ると太い梁が印象的だ。宿泊者が集うための囲炉裏があり、キッチンスペースなども充実している。外国人観光客の利用も多いという。こうしたゲストハウスを拠点に、中山道散策を楽しむのも良いだろう。
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南木曽は漢字で「南」の「木曽」と書く。山深い木曽エリアのなかでは南方に位置し、北部に比べると温暖で積雪も少ない。しかし、冷え込みの厳しかった年の瀬のこの日、コースの多くは雪に覆われていた。
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秋の御嶽古道に続き、この日も快くガイドを引き受けてくれた木曽おんたけ観光局の輿さんの後を追い、雪道を進む。ここまでのところ険しい道はほとんどなく、心地よい散策が続く。雪を差す陽光が眩しい。
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ルートの途中、田畑を荒らす野生動物の侵入を阻むため、手作りのゲートが設けられている。日本語と英語で「押す/PUSH」と手書きされているので遠慮なく進もう。
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ゲートの先には山間部の傾斜を利用した段差のある田畑が広がっている。田畑の先には与川村の庄屋屋敷があり、与川道はこの屋敷の間を通って続いている。
ペットの山羊に挨拶をしつつ、なだらかな農道を進み、ふたたび山道に入っていくと、やがて屋根のある休憩所につく。
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かつて中山道を通った姫の行列もこのあたりで足を休めたのかもしれない。南木曽駅からゆっくり写真を撮りながら歩いてこのあたりで3時間ほどなので、そろそろ休憩してもいいだろう。お腹が空いても周辺に売店などはないので事前に用意していく必要がある。
かつて林業が盛んだった時代、木曽の山中には「木曽森林鉄道」と呼ばれる山で切り出した木材を運搬するための鉄道が張り巡らされていた。
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林業の衰退に伴っていまは廃線となってしまった森林鉄道だが、与川道を歩くと所々でその遺構を目にすることができる。
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歩きながら足元に目をやると、林道のあちらこちらで檜の根が露出していることに気づく。固い岩盤質の地形のため、地中深くまで根を張ることができないためだという。
木曽エリアは雨が多く、冬は厳しい寒さと雪に包まれる。そんな厳しい自然環境で育つ檜は、他の場所で育つ檜よりも時間をかけてゆっくり成長する。そのため、木の断面に美しい年輪が作られ、古くから日本建築を支える高級木材として知られてきた。
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突如、檜の林道が終わり、野原に出る。その先は竹林の小径がつながっていた。
竹林を抜けると急な勾配を降りなければならない。鉄製の階段が造作されているので慎重に足を進めていこう。
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しばらく行くと阿弥陀堂に着く。細かい由来はわからないが、古くから与川道を往きかう旅人を見守ってきたことだろう。
道中のところどころでは、日本アルプスの山並みを眺めることができる。冠雪した山並みが青空に映えて美しい。
やがて、「欄干橋(らんかんばし)」と書かれた橋に着く。かつて姫の行列がこの川を通る際、多くの人夫が動員され、立派に装飾された手すりである欄干のついた橋がかけられたという。残念ながらいまはその面影はなく、味気ないコンクリート製の橋が架けられているだけだ。この橋を超えると与川道のピークである「根の上峠」まであと少しだ。
峠を前に、道はやや急になってくる。
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クマ避けの鐘もある。この辺りで旅行者がクマと遭遇する事故は多くないが、念のため、冬眠中のクマを驚かさないよう鐘を鳴らしておくといいだろう。
真っ直ぐにそびえ立つ檜の迫力に感銘を受けつつ、さらに奥に進んでいくと、小川に架かる橋があり、その突き当たりに小さな石像が見えてくる。
「右やまみち、左のぢり道」と刻まれた18世紀の石仏道標だ。古くからこの与川道が中山道の迂回路として多くの人に利用されてきた証といえよう。ここは左の「やまみち」の方へ進んでいこう。
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最後の急勾配を一気に登っていくと、根の上峠のピークに着く。この辺りも高い檜に囲まれており、残念ながら、周りの眺望が開けているわけではない。8時過ぎに南木曽駅をスタートして、根の上峠に到着したのが12時20分であった。
根の上峠からはあとは道を下っていくだけだ。
単調な道が続くが、1時間も歩くと野尻宿に着く。
野尻宿はかつて賑わった宿場町だ。残念ながら1930年代におこった火災により、当時の雰囲気は大部分失われてしまったが、枡形(ますがた)と言われる外敵を防ぐために曲がりくねった道路の構造に、宿場町としての面影を少しとどめている。
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野尻駅は野尻宿のなかにひっそりと佇んでいる。駅員の常駐していない無人駅だ。駅には14時過ぎに着き、そこから帰途についた。
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今回歩んだ与川道のルートは、スタート地点の南木曽駅が標高約400メートルで根の上峠が約850メートルなので、高低差は約450メートル、全長は約16キロ。休憩を挟みながらのんびり歩いて5〜6時間ほどの行程だった。
随所で目にする江戸時代から時がとまったような風景、真っすぐにそびえ立つ檜、遠くに望む冠雪した山並み、いずれも素晴らしい経験だった。まだ観光ルートとしてはほとんど知られておらず、この日も他の旅行者とすれ違うことなくとても静かな時間を過ごすことができた。コロナ禍で密を避けるのに少し疲れたのであれば、与川道を歩いてリフレッシュしてみるといいだろう。
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