| セントリップ・ジャパン編集部
【東海道歴史散策】有松・熱田宮宿と関宿から鈴鹿峠を巡る
江戸時代、江戸(東京)と京都を結ぶ2本の主要街道が整備された。ひとつは海沿いを通る「東海道」であり、もうひとつは内陸部、山沿いを通る「中山道」だ。
日本の侍忍者文化に関心を持つ外国人にとって、「東海道」新幹線にもその名が残る東海道よりも、中山道の方が、ひょっとしたら馴染みがあるかもしれない。中山道、とくに「木曽路」と呼ばれる山間部の街道は、古き日本の街道風景と歴史ある宿場町を楽しめる散策路として、英BBCでも紹介され、多くの外国人観光客を惹きつけている。
一方の東海道は、近代以降、日本の交通の大動脈である東海道新幹線や主要道路が走り、発展の中でかつての街道や宿場町の雰囲気を楽しめる場所は少なくなってしまった。だが、交通の便の良い東海道沿線は、名古屋などの都市に滞在しながら、半日〜1日の行程で気軽に立ち寄ることができる魅力的なスポットも多い。
この記事では、中部国際空港や名古屋から訪れやすい中部エリアの3つの東海道の宿場町(熱田宮宿、関宿、土山宿)と街道沿いに発展した町(有松)、そして、関宿から土山宿までの区間を歩く東海道の1日ハイキングコースを紹介する。
熱田宮宿(愛知県)
東海道五十三次のうち、江戸から数えて41番目の宿場である「宮宿」は、名古屋市の熱田区にある。熱田は今でこそ名古屋市の区のひとつだが、地元の人が「はじめに熱田があって、あとから名古屋ができた」と誇らしげに語るほど歴史が古い地域だ。
古くは熱田神宮の門前町として形成され、江戸時代以降は東海道の宿場町としてさらに栄えた。江戸時代末期(19世紀半ば)には、本陣2軒(公家や大名の宿泊施設)と脇本陣1軒(本陣についで格式高い宿泊施設)に250軒近い旅籠屋(一般的な宿)が並ぶ東海道最大の宿場町だったと言われている。
宮宿から次の42番目の桑名宿までは「七里の渡し」と呼ばれる海路であり、当時の旅人は7里(約27〜8km)の区間を船で海を渡った。宮宿周辺は近代化の過程で再開発が進み、宿場町としての面影を感じられる場所は少ないが、当時の船着場跡は「宮の渡し公園」として整備され、常夜燈や時を告げる鐘などが復元されている。
宮の渡し公園のすぐ近くには、三種の神器のひとつである「草薙の剣」をご神体とし、古くから侍の信仰を集めてきた「熱田神宮」がある。熱田神宮には、戦国時代のスターである織田信長が、自身の(そして戦国時代の)命運を決する「桶狭間の戦い」を前に、戦勝祈願に赴いたと言われている。境内には、見事戦いに勝利した信長が奉納したとされる「信長塀」も残っている。
有松の古い町並み(愛知県)
信長が戦った桶狭間古戦場のすぐ近くに名古屋市の「有松」地区がある。
有松は元々、東海道39番目の池鯉鮒宿と40番目の鳴海宿の間にあった茶屋集落であり、江戸時代には絞り染め「有松絞」の産地として大いに栄えた。東海道を行き交う旅人は有松絞の手拭いや浴衣を競って買い求めたと言われている。繁盛した商家が立ち並ぶ街並みが、往時の繁栄を今に伝えている。
有松絞は江戸時代初期、尾張藩の保護のもとで発展した。布をくくって染める絞りの技術で、布のくくり方によってさまざまな模様が現れる。現在でも200名ほどの職人が活躍しており、「有松・鳴海絞会館」では熟練職人による実演を見ることができる。また、有松に点在する工房では1時間ほどの工程で自分だけのオリジナル柄のスカーフを作る体験プログラムが用意されている。
関宿(三重県)
東海道五十三次のうち、最も大きなスケールで当時の宿場町の雰囲気を残しているのが47番目の宿場町である関宿だ。関宿では早い時期から地域をあげての町並み保存運動に取り組んできた。宿場町の東端から西端まで、約1.8kmに渡って往時の雰囲気を留めた建物が並ぶ様は圧巻で、まるでタイムスリップしたような感覚に陥る。
関宿には、宿場町全体を見渡す展望スポット「眺関亭」や江戸時代の旅籠「玉屋歴史資料館」など見どころも多い。また、老舗の和菓子店や伊勢茶を扱う店、古い建物を活かしたおしゃれなカフェなども多く、町歩きも楽しい。
名古屋から関宿まで、公共交通機関を利用する場合、JR関西本線で亀山まで行き、そこから同じく関西本線に乗り継いで次の関駅で下車(約1時間15分)。車であれば1時間ほどだ。
土山宿(滋賀県)
関宿から2つ先には49番目の宿「土山宿」がある。東海道には、箱根峠、由比・菩薩峠、そして鈴鹿峠という急峻な峠道があり、東海道三大難所と呼ばれていた。土山宿は、その鈴鹿峠の麓にある宿場町として多くの旅人が足を休め、賑わった。本陣は江戸幕府3代将軍家光が京都に向かう際に設けられ、その後も天皇や格式の高い大名に利用された。重厚な本陣には、当時使われていた道具や宿帳などが残されている(※本陣の見学には事前予約が必要)。
土山宿の歴史をコンパクトに学びたいのであれば、「東海道伝馬館」を訪れてみよう。伝馬館は江戸時代後期の民家を改装した資料館で、土山宿のジオラマや江戸時代に土山宿を通った大名行列の様子を伝える模型などが展示されていて興味深い。
また、土山宿のある滋賀県甲賀市は伊賀と並ぶ忍者の里として有名だ。侍だけでなく、忍者にも興味があるのであれば、甲賀市にある「甲賀流リアル忍者館」や「甲賀の里 忍術村」など、忍者を知り、忍者文化を体験することができる施設と併せて訪れるのもおすすめだ。
東海道ハイキング 〜鈴鹿峠を越える〜
それぞれの宿場町を訪れるだけでなく、宿場町と宿場町とを結ぶ東海道をかつての侍の気分を味わいながら歩くのも楽しい。
東海道沿線は中山道沿線よりも近代以降の開発が進んでいるため、景観が楽しめ、かつハイキングに適した区間は限られているが、上で紹介した関宿からスタートし、間にある坂下宿と難所とされた鈴鹿峠を越え、土山宿まで至るルートは最も魅力的な東海道ハイキングルートのひとつだ。
関宿から鈴鹿峠に向かうルート上には、坂下宿周辺ののどかな山村風景、神秘的な雰囲気を感じさせる片山神社、そして古い石畳が残る鈴鹿峠など、見どころが多く、飽きずに歩くことができる。
鈴鹿峠の標高は357mとそれほど高くないが、関宿・坂下宿方面からの傾斜はとくに急で、100mほどの標高差を一気に上るため、それなりに体力を消耗する道のりになる。江戸時代から残る古い石畳を踏みしめ、往時の旅人の気分を感じながらハイキングを続けよう。
鈴鹿峠の頂上付近には「鬼の姿見」という異名を持つ鏡岩がある。かつて鈴鹿峠に多く居た山賊は、この岩に映った旅人を襲ったと言われている。深い森に包まれた東海道の難所ならではのエピソードだ。
関宿から坂下宿までは約6.6km、坂下宿から鈴鹿峠の頂上にある常夜燈までは約3km、そこから次の土山宿までは約6.8kmとなっている。所要時間は休憩を含めて6〜7時間程度。道中、食料や飲み物を買える場所もほとんどないが、鈴鹿峠の近くにはバーベキュー・レストランがあり、ジビエやマス料理を提供してくれる。釣り堀でマスを釣ることもできる。
土山宿から関宿に戻る手段が限られているため、関宿方面に戻らなければならない場合には、鈴鹿峠から坂下宿まで戻り、坂下公民館前のバス停からコミュニティバス(料金は200円)に乗り、関駅前まで戻る必要がある。
土山宿まで歩く場合、土山宿にあるバス停から「近江土山」からバスに乗り、JR草津線「貴生川(※きぶがわ)」駅まで移動すれば、草津駅経由で京都駅まで約1時間で行くことができる。
おわりに
江戸時代の二大都市である江戸と京都を結んだ「東海道」は、日本を深く理解する上で欠かせない街道だ。その街道に沿って、様々な文化が発展し、地域特有の町並みが形成されてきた。名古屋から半日〜1日の行程で気軽に巡れるスポットも多いので、ぜひ訪れ、もう一つのSamurai Trailの魅力を感じ取ってほしい。
※この記事は、外国の方向けに書かれた記事です。少し違う目線で書かれている部分も含めてお楽しみください。