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忍者とは?!忍びの世界へ~伊賀流忍者・甲賀流忍者~

15世紀後半から16世紀後半にかけての戦国時代、多くの情報収集や戦闘のスペシャリストとして武将を支えた忍者。現代でいうところのスパイだった彼らは、痕跡を残さなかったことから、今でもその多くが謎に包まれています。
そんなベールに包まれた忍者ですが、忍者の代表格である「伊賀流忍者」と「甲賀流忍者」を排出した中部エリアには、忍者ゆかりの場所や忍者体験が出来るスポットが沢山あります。今回は、旅する前に読んで欲しい忍者の基礎知識と、中部エリアを訪れたらぜひ足を運んで欲しい忍者スポットをご紹介します。

忍者の昼の顔

江戸時代には関宿を代表する旅籠屋だった「会津屋」

忍者と言えば、黒い衣装を身にまとい、圧倒的なスキルを備えた戦士を想像する方が多いと思いますが、実のところ、ほとんどの忍者は商人や農民だったとされています。
と言うのも、忍者にとって闘いは最終手段。多くの場合、敵の行動を把握したり、情報を操作し敵の作戦を妨害したりする諜報活動が最も重要な役目だったと考えられています。
そのため、沢山の人が行きかうお茶屋や、重要人物が宿泊する旅籠屋の商人が、実は忍者として活動していたというのもうなずけます。

忍者装束の再現。実際には柿色や濃紺だった。
鎌は武器としてだけでなく、土壁を上る際にも使われた。

また、当時一番多かった職業は「百姓」。群衆に紛れやすかったこと、土地をよく知る者であったこと、更には忍者の武器として知られる「鎌」も、農民なら持っていても怪しまれませんね。実は、忍者が着ていた服も、動きやすく、目立たない農作業の服だったことが分かっています。

忍術

忍者は「二重息吹(ふたえいぶき)」という特別な呼吸法で持久力を高めたそう。

忍者の最も重要な役割は諜報活動だったことから、一番必要なのは情報を素早く確実に生きて持ち帰ることでした。そのため、忍者は敵から身を隠したり、逃げたりする術に長けていました。これらの忍者の技術や武術を「忍術」と呼びますが、この忍術が網羅する範囲は心理学や薬学にまで至るようです。

水蜘蛛
高いところも何のその

代表的な術は、時に僧侶や大道芸人にも化ける「変装術」、水辺を蜘蛛のようにスイスイと渡る「水蜘蛛の術」、火を使って相手の気をそらす「火術」などがあります。まるでスパイ映画さながらの世界ですね。

忍者の代表格「甲賀流忍者」と「伊賀流忍者」

全国各地に忍者の組織が存在したと言われていますが(その数70以上とも!)、その中でもとりわけ有名なのが「伊賀流忍者」と「甲賀流忍者」です。この2つの組織がある地域は直線距離で20kmほどしか離れておらず、交流も盛んだったと言われています。

伊賀―甲賀間のアクセスについては、この記事の最後にご紹介しているので、チェックしてみてくださいね。

プロフェッショナル集団 伊賀流忍者

伊賀流忍者博物館に隣接するの白山稲荷神社

現在の三重県北西部に位置する地域を拠点にしていたのが伊賀流忍者です。伊賀流忍者の特徴は、戦闘に長けた者が多く、火薬を扱う「火術」や護身や厄除けの「呪術」を得意としていた点です。興味深いのは雇い主との関係が「金銭契約」であったこと。彼らは雇い主を守るプロフェッショナル集団でありましたが、雇い主とは一定の関係以上にはなりませんでした。

伊賀流忍者の世界へ!

フォトスポットもたくさん!

「忍者市」と公式宣言している三重県伊賀市では、伊賀流忍者の世界を体験できるスポットが数多くあります。

市内各所で忍者衣装をレンタルできるほか、現代に息づく忍術を体験できる場所として「伊賀流忍者博物館」があります。忍者資料の展示はもちろんのこと、本物の武器を使った「阿修羅」の忍術ショーやからくり屋敷があり、大人から子供まで楽しめる施設になっています。

阿修羅の忍術ショーは必見
ニカク食堂の服部半蔵うどん

さらに、ビーガンやハラルメニュー(礼拝堂もあり)も充実したニカク食堂では、忍者にちなんだ食事が堪能できますよ。
見所がコンパクトにまとまっているので、一度上野市駅に着いてしまえば一日中徒歩で忍者スポットを巡ることが可能です。伊賀観光についてはこちらの記事をぜひ読んでみてくださいね。

忠誠を尽くす武士集団 甲賀流忍者

忍びやすくするため、忍者の使う刀は通常よりも短く反りがなかった。

現在の滋賀県南部、甲賀市周辺を拠点としていたのが甲賀流忍者です。甲賀流忍者の特徴は、薬草や医学の知識に長けており、毒薬を用いた奇術を得意としていた点です。現在でもこの名残で、甲賀市内には多くの製薬会社が残っています。
伊賀流忍者と大きく異なるのが、主君への忠誠心。主君に絶対の忠誠を誓い命を懸けて守ったことから、甲賀流忍者は甲賀武士とも呼ばれています。
さらに、何か起きた際それぞれの家の代表が集まり皆で決めごとをしていた点から、団結力・連帯感が高かったと推測されます。

忍者の里 甲賀市へ!

甲賀の里 忍術村

甲賀市内には忍者にまつわるスポットが数多くあります。観光インフォメーションセンター「甲賀流リアル忍者館」では忍者資料の展示、謎解きゲームやゴム手裏剣などが無料で利用できる他、忍者ショーなどのイベントも定期的に開催されています。

壁伝いの忍者修行
油日神社

「甲賀の里 忍術村」では9種の忍者修行体験に加え、世界一の資料数を誇る「甲賀忍術博物館」で貴重な忍者資料を存分に見ることができます。
さらに、甲賀忍者が集っていた「油日神社」や日本で唯一現存する忍者屋敷などもあり、忍者が実際に居た世界にタイムスリップできます。
甲賀観光についてはこちらの記事をぜひ読んでみてくださいね。

伝説の忍者 服部半蔵

深川屋

忍者の中でも抜群の知名度を誇るのが「服部半蔵」。服部家は代々、将軍徳川家に仕えた忍者の起源とされる一族で、伊賀流忍者、甲賀流忍者双方を指揮していました。「服部半蔵」の名前は世襲制のため、12名ほどの「服部半蔵」がいたと言われていますが、その半蔵のいとこのご子孫が関宿で380年ほど続く老舗のお菓子屋「深川屋」を営まれています。

服部亜紀さん

文献が残っているところから数えて14代目、言い伝えを加味すると恐らく19代目!の服部亜樹さんの家には、代々受け継がれてきた書物が残っている他、口伝によって多くのことが伝えられてきたと言います。忍者の末裔らしいエピソードとして印象に残っていることは、小さなころから祖父母に人の懐に入る方法を教えられたことだそう。気に入られるのではなく、相手の心を開くというその教えは、現在商売をする上でも役立っているそうです。

店内
関の戸

鈴鹿山に積もる白雪をイメージして作られた名物「関の戸」。数年前にこの「関の戸」を科学的に調査したところ、なんと2年も保存可能なことが分かったそうです。忍者は薬学や医学の知識も豊富だったことから、長く美味しく食べられる「関の戸」が生み出されたのではないかと服部さんは言います。「関の戸」は関宿の他、全国の百貨店でも購入できるので、ぜひ忍者に思いを馳せながらご賞味あれ!

伊賀―甲賀間のアクセス

車の場合、県道680号と775号経由で約30分。
電車の場合、伊賀上野駅を起点とすると、JR関西本線で伊賀上野駅から柘植駅まで向かい、柘植駅でJR草津線に乗り換え甲南駅へ。甲南駅から甲賀観光の拠点となる観光インフォメーションセンター「甲賀流リアル忍者館」まで徒歩約20分です。乗り継ぎが上手くいけば、所要時間は1時間程度です。
また、「甲賀の里 忍術村」へは、甲南駅の2つ手前の甲賀駅で降りて無料送迎バスを利用するのが便利です。

まとめ

今でもまだ解明されていないことが多く、謎に包まれた忍者。そんな彼らのベールに包まれた世界に触れられるのが中部エリアです。ここには沢山の忍者ゆかりのスポットがあるので、ぜひ辺りをよく観察しながら旅してみてください。ひょっとしたら、あなたの降り立つセントレア空港にも忍びがいるかもしれません!忍びの気配に気づけたら、あなたも忍者の一員です。

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